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otoさんのオーディオルーム

2012年3月 2日 (金)

otoさん、とうとう部屋壊しちゃいましたね/otoさんのオーディオルーム

■otoさん、とうとう部屋壊しちゃいましたね。衝撃的な一言です

『 otoさん、とうとう部屋壊しちゃいましたね、結局あの部屋の設計は失敗だったんですね 』 otoさんのブログを最近読み始めた方がポロッと漏らした電話での一言です。

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otoさんのブログを最初から読み続けている読者のコメントではないので、少数派ですが、さりとて放置はまずいかな ・・・。

そこでotoさんの改造記が一段落したこのタイミングで、設計、施工、改造の推移を、理論的な見知で解析することにしました。詳細に解析しておけばotoさんが次に迷ったとき、次に打つ手のヒントになるかもしれません。

躯体、床、壁、天井に加え、SVパネルを互に干渉させながら作り上げた音場なので、ごちゃごちゃっと絡み合った糸を解きほぐすパズルを解くような面白さがありましたが、結び目が固まってしまってほぐれない糸もありました。それが次のブレークスルーのネタになります。詳細は下記ページ参照。 http://www.salogic.com/DesignGap/DesignGap.html

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上記写真はオーディオルームの竣工から1年4ヶ月後の2009年12月15日に撮影したもの、2ヶ月後のotoさんのブログに下記視聴レポートがありました。  

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■〇〇〇邸訪問(2010.2.12)の感想

 聴き始めて直ぐに予想もしていなかった変わり様に驚きました。前回とは全く異なった印象で、これは何だろうという不思議な感覚とともに、過去2回の訪問、村田さんの事、自宅や他で聴いた音の記憶が頭の中でぐるぐる回りました。
  そして、何の根拠もありませんが、「これだ!」、「ああ、これで完成したんだ。」と直感しました。

  聴き進むに連れてもその印象が変わる事はなく、以前とは別物になった事を確信しましたが、そのように感じたのは自分でも非常に不思議でした。客観的に見れば全く別物という事ではないのでしょうが、少なくとも私自身の受けた印象は今でも変わっていません。
  今回で「全体の融合の妙とでも言うべき完成度」に達し、真に「血肉の通った音」になったと思います。
 
  しかし、これを他の方に分かっていただこうとして、ここが良かった、あそこがどうだったと個々の部分を説明しようとすればするほど、私の受けた印象からは遠ざかってしまうような気がしています。下手な例えですが、心臓や血管という要素を個別に取り出していくら詳細に説明しても、血流循環という働きや状態を説明したことにはならないのと同様です。

  どんな音だったと聞かれれば、「とにかく騙されたと思って聴きに行く事をお勧めします。幸せな気分になれますよ。」と申し上げるしかありません。

  後付の理屈として強いて説明するならば、音を構成する全ての要素が有機的に結び付き、相互に連携しながら絶妙なバランスを保っている、という事でしょうか。
  「全体としての纏まりと調和の完成」、あるいは「完全なバランスの獲得」とも言えます。
  私には、音の背後に再生、音楽表現の一つのフォルムを実現しようとする統一された意志が感じられ、村田さんの姿が見えるような気がします。

  ですが、実際に聴いているときはそんな事はどうでも良くて、ただ楽しいだけで、あくまでも後で考えて言葉にしてみればというだけの話ではあります。

 オーディオ的には歪みやデフォルメした部分を含む方が臨場感やリアルな感じなどの効果が出る場合が往々にしてあります。しかし、その音は特定の演奏やジャンルには良くても万能ではなく逆にデメリットとなる場合もあり、その辺りがジャズ向きとかクラシック向きとか言われる所以でもあるのでしょう。

  また、一聴して「いい音ですね」、「凄い音ですね」とか音の評価が真っ先に来るような場合は、やがてそれが鼻に付くというか気になってくる事も経験的には多いように思います。
 
  今回の音は、その意味からは際だった特徴が有るわけではなく、普通に聞けば、ただ演奏や楽曲だけに耳が行って音の事は忘れています。
  しかし、音自体に注意を向けると、必要な所に必要な音、響きが必要な量だけ十分な音質で過不足無く展開されています。良い音で聞かせようとか、らしく聞かせてやろうというような意図的なものは微塵も感じられません。

  スピーカーから出てきた音と部屋の響きがそのまま一体化して音楽、演奏そのものとして存在し、音自体の主張や作為を感じさせません。「何も足さない 何も引かない」というウィスキーのCMがありましたがそんな感じです。

  名人と呼ばれる方は、ひょっとしたら真似事くらいなら少しはできるんじゃないかと錯覚しそうになるほど、何の苦労もないかの如く楽々と演じます。厳しい修練の結果によって造作もない事のように見えるだけなのですが、観客にはその苦労はわかりませんし、分からせるようでは名人ではないでしょう。

  何の衒いもなく、ごく自然に、音楽と演奏が眼前に易々と展開されるこの音を、〇〇〇さんは「これは村田さんの音」と言われていましたが、まさに音の職人の名人芸だと思います。
  しかし、そうであったとしても、〇〇〇さんがベストを望まなければ実現しなかった音であることも間違いありません。私だったら早々に満足していたでしょうから、このようなレベルに達する事はなかったと思います。

  音の好みや音楽再生に対して望むものは人によって違い、良い音というものも一つではありませんから、この音が絶対で唯一無二と言うつもりはありませんが、到達点の一つの姿であるのは間違いのない事と思います。

  無論、これ以上良くなる余地が無いのか言えばまだ若干は残っているのでしょうし、私には想像できませんがもっと素晴らしいものもあるのかもしれませんが、人が音楽の楽しみを享受するのにこれ以上のものが必要とも思えません。

  今回はスピーカーの変更、床の補強、天井の布などの大きな変更がありました。前述のように「音楽再生と表現のあり方そのものがこの音の本質」と思いあえて触れませんでしたが、少しだけ補足させていただきます。

  スピーカーが高級になったから良くなったのだろうと思われる方もおられると思いますが、私は、それは大きな要素であってもこの音を決める決定的なものではないと感じています。

  音を作る全ての要素が一つの目標に向かって有機的に組織、運用されているかどうかが最も重要であり、それはオーケストラと指揮者の関係によく似ています。装置などが不十分であればどうしようもありませんのでその意味での重要性は確かにありますが、部分が全体を決めるわけではないのです。

  また、部屋については、ここはF1マシンのようなもので反応が異常に速く、少しでも触ると直ぐに影響が出てしまいます。これだけ高度に調整されていると迂闊には触れないという怖い側面も感じました。

  素晴らしい体験をさせていただきましたが、総じて振り返りますと、この音は、オーディオ的な事や先入観の一切を排して無心で向き合う時にこそ、その真の姿を聴くことができるのではないかと思っております。

  「忘筌」(ぼうせん)という言葉があります。筌とは魚を捕える竹器の事ですが、「魚を得る目的を達すれば道具の筌は忘れる」という、道具や手段にこだわる事を戒め、目的、本意を大切にせよという意味だそうです。
  この音を一言で表すならば、「忘筌の音」なのではないでしょうか。
 
  以上、主観ばかりの訳の分からない文章になってしまいました。大袈裟と思われるかもしれませんが、私の受けたインパクトが如何に大きかったという事だけでも推察いただければ幸甚です。
 
  〇〇〇さんには平日にもかかわらず長時間のお付き合いをいただき深謝いたします。

http://otoaudio.blogspot.com/2010_02_01_archive.html

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